先週のみ言葉から
申命記4:15ー31
「十分に気をつけなさい」
モーセはイスラエルの民に、「自分のためにいかなる形の像も造ってはならない」と警告しました。偶像とは、木や石で造られた像だけではありません。神様を自分の願いや考えに合わせ、「神様にはこういうお方であってほしい」と、自分に都合のよい神を思い描くこともまた、偶像につながります。また、最初は「自分のため」に大切にしていたものが、いつの間にか「これがなければ安心できない」と、私たちが仕えるものになってしまうこともあります。本来神様に向けるべき信頼を、神様以外のものに求めてしまうのです。
さらにモーセは、「主があなたたちと結ばれた契約を忘れるな」と語ります。神様から与えられた恵みも、長く与えられているうちに当たり前になってしまいます。礼拝できること、聖書を開き、御言葉を聞くことのできる恵みに慣れ、やがて、その恵みを与えてくださった神様御自身を忘れてしまう。私たちも、そのような弱さを持っています。神は罪をそのままにされるお方ではありません。だからこそモーセの言葉は、私たちにも向けられた厳しい警告です。
ところが、御言葉はそこで終わりません。神様を忘れ、神様から離れてしまった民に、主は「その所から」わたしを求めなさい、と語られます。自分を立て直してからでも、立派な信仰を取り戻してからでもありません。なぜなら、「あなたの神、主は憐れみ深い神」であり、御自分の契約を忘れることのないお方だからです。
その神の憐れみは、御子イエス・キリストにおいて私たちに示されました。私たちが神様のもとまで帰ることができたからではなく、神様の方から、神を忘れ、離れてしまった私たちのところへ来てくださいました。そしてキリストは私たちの罪を負い、十字架にかかってくださいました。だから、神様から遠く離れてしまったと思う時にも、「もう手遅れだ」と思う必要はありません。今いる「その所から」、憐れみ深い主の御声をもう一度聞き、主のもとへ立ち帰るよう招かれているのです。