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​先週のみ言葉から

申命記16:6ー8 
「もう十分この山にとどまった」

神はイスラエルの民をエジプトから救い出し、ホレブへと導かれました。そこで民は約一年を過ごします。それは決して無駄な時間ではありませんでした。神は御自身を現し、十戒を与え、契約を結び、民を整えられたのです。
 このホレブは旅の終着点ではありませんでした。やがて神は、「あなたたちは既に久しくこの山にとどまっている。向きを変えて出発しなさい」と命じられます。私たちの信仰生活にも、何も前に進んでいないように感じる時があります。ですが神は、そのような時をも用いて私たちを整え、御自身の時が来ると、新しい歩みへと送り出してくださいます。
大切なのは、過去の恵みに感謝しながらも、そこにとどまり続けるのではなく、「今日、神は何を語っておられるのか」と御言葉に耳を傾けることです。イスラエルが旅立ったのも、将来を見通すことができたからではありません。神が「向きを変えて出発しなさい」と語られたからでした。
 そして神は、ただ出発を命じられたのではありません。まず、「見よ、わたしはあなたたちにこの土地を与える」と約束されました。私たちは目の前の問題や自分の弱さ、将来への不安を見てしまいます。だからこそ神は「見よ」と語り、私たちの目を神の約束へと向けられます。
 この約束は、はるか以前にアブラハムへ与えられたものでした。その後、民はエジプトで奴隷となり、長い苦しみを経験します。人間の目には、神が約束を忘れてしまわれたように思える時もありました。しかし神は決して忘れておられませんでした。民をエジプトから救い出し、ついに約束の地へと導かれたのです。神は御自分の約束に忠実なお方です。
そして神は、「あなたによって地のすべての部族は祝福される」というアブラハムへの約束も忘れられませんでした。時が満ちると、御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。主イエスは十字架と復活によって私たちに救いを与えてくださいました。神の約束は、キリストにおいて確かなものとされたのです。
 ですから、私たちの信仰は自分の決意や力から始まるのではありません。神が先に約束してくださり、その約束を信じて私たちは歩き始めます。未来のすべてが見えているからでも、自分に十分な力があるからでもありません。約束してくださった神が真実なお方だからこそ、そのお方に信頼して歩むのです。神は私たちにすべてを見せてから歩ませるのではなく、御言葉を与え、その御言葉に支えられて歩むように導いてくださるのです。

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